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アイデンティティークライシスとは、自己喪失・崩壊と再構築の時

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アイデンティティー

それは、私たちが私たち自身に対して
抱く自分像のことです。

私たちは、これまで
過去に経験してきたことを元に
主観的な自分像を、顕在意識ではなく、
潜在意識で抱いているのです。

 

アイデンティティー―価値観の絶対視とは

アイデンティティークライシスとは
定義として、その自分が描く自分像
(アイデンティティー)が、
通らない状況になったときに苦悩すること。

私たちは、自分自身で
「自分の人生はこうあるべきだ」
という気持ちを潜在意識を抱いています。

「そんなことはない!」
と思われる方もいるかも知れませんが、
改めて考えてみると色々思い当たる節
があるはずです。

 

例えば、学校で成績が悪くて
自分の将来を不安視して苦悩する人もいれば、
成績が悪くても何とも思わない人がいる。

何か上手くいかないことがあれば
自分の責任と自分を責める人もいれば、
逆に人のせいだと他人を責める人もいる。

嘘を付いたら夜も寝れないくらい
罪悪感に苦しむ人もいれば、
人を騙して貶めても
全然罪悪感を感じない人もいる。

 

私たちは皆、性質的に
前者のタイプと後者のタイプ
どちらか寄りとなります。

つまり一般的な捉え方だと、
責任感のある善人と、責任感のない悪人です。

 

ここで一つ、根本的な疑問を呈してみましょう。

極端な前者のタイプの人(善人)はほぼ確実に
うつ病やガンなどの大病を抱えてしまいます。

極端とは、起こる出来事の全ての責任を
自分で背負い込もうとすることです。

それは視点を変えれば、
最高の責任感を持った
最高の善人とも言えます。

つまり、最高の善意に
生きているはずの人間が
なぜか一番損をしているような
状態になってしまうのです。

これって、完全におかしい話だと思いませんか?

なぜ善人が一番犠牲にならないと
いけないのか、全く意味がわかりません。

 

となると、別に善意で生きることが
正しいわけではないのではないか
となってきますよね。

でも、責任感が強過ぎる考え方の人は
全く妥協をすることができないのです。

つまり少しでも自分が無責任だと
感じることが許せない。

その人は、そういう価値観なのです。

逆に、どんなに悪いことをしても
罪悪感を感じない人は、
「この世は得したモン勝ち」
という価値観があり、
自分が人より損をしてることに対して
嫌悪するのです。

ですから、より無責任な方が
得をしてるわけで、価値があるのです。

 

これらは、この世に生まれてきてから、
自分のしてきた経験や環境によって
自らが構築してきた価値観です。

つまり思い込みであるとも言えるのですが、
価値観に対しての絶対視(自己洗脳)が
強ければ強いほど、融通が効かないのです。

【参考】洗脳の意味や方法とは―プチ洗脳は日常にありふれてる

 

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アイデンティティークライシス―自己喪失・崩壊

しかしながら、人生において
その考え方が通用しなくなるときがあります。

善意であれば、一番人のために
頑張っている自分が
何故か一番犠牲になっていること。

悪意であれば、こちらはわかり易いですが、
自分だけ良ければ良いと思って生きていたら
とんでもない目にあったこと。

どちらにしても、そのままの価値観では
やっていくことができない状況があり、
そんな状況に直面したとき、自分のこれまで
抱いてきた価値観を根本的に
改めなければならないかもしれません。

 

ここで人は、
アイデンティティークライシス
に陥るのです。

自己喪失であり、崩壊。

これまで正しいと思って、
基いて生きてきた考え方を
否定するわけですから、
これは自分の価値観を
絶対視の頑固な人でなくとも
ものすごく大きなストレスとなります。

ですから、あまりにも頑固な人は
それでも構わずに
その価値観で突き進むのです。

当然、状況はさらに悪化してしまいますが。

【参考】思い込みが激しいのは悪?心気症等の病気も誘発するがその力は逆に利用可能か

 

再構築

では結局、どういう心境が正しいのか。

それは最高に簡単なことです。

「自分も人も大切にすること」

です。

結局、世の中はバランスなのです。

その辺のバランスが
絶妙であればあるほど、
自分も人もより快適な人生に
なっていくのです。

その絶妙なバランス感覚は、
もう自分で掴んでいくしかありません。

しかしながら、
「善意であっても悪意であっても
どちらが正しいというわけではない」
「バランスが大事だ」
という考え方が根底にあれば、
そこまで自分の考え方に固執することもなく
状況状況に応じて修正していく
こともよりし易いのではないでしょうか。

 

とは言えども、ときにはどういう
考え方・行動をしても上手くいかない
と思う場合もあるかも知れません。

一例として、
限界だからと責任を放棄したら
嫌われて居場所がなくなる、
かといって意地になって頑張っても、
自分の精神や身が持たないようなケース。

こういうケースは、まさに
アイデンティティークライシスと言えます。

そしてこのような解決策がどうしても
わからないケースにおいて、
精神的に一段成長するのが
唯一にして最高の対応法なのです。

 

それは、

「自分はやるだけやった。これ以上は精神が持たない。
だからもうやめる。それによってどんな結果になろうが覚悟し受け入れる」

と、プライドを捨て、人の非難に対して
覚悟と受け入れの姿勢を持つことです。

つまり、意地を張るのをやめ、
固執した考え方を改める、ということです。

実はここにこそ、本当の意味での
精神的な成長があるのです。

 

決して簡単なことではありませんが、
本当に限界に達しているときであれば、
恐ろしく爽やかな気分で心地良いですし、
しかも物事が不思議と一気に好転したりするのです。

ただし当然ですが、
自分なりに責任を果たそうと
やれるだけやることは必須になりますよ。

とはいえ最終判断は、
自分の基準に委ねられます。

もしそのタイミングと努力が
確かなものであったら、
そのとき初めてあなたは、
アイデンティティークライシスを乗り越え、
古い価値観(思い込み)の殻を破り、
新しい価値観を自分の潜在意識に
再構築することができたと言えるのです。

つまり、自分の心に、よりバランス感覚
が養われたということです。

 

乗り越える上でのヒントと心構え

こう言うと何だか
難しく思えてしまうかも知れませんが、
アイデンティティークライシス
が起こるということは、
あなたに向上心があるということです。

だから自信を持ってください。

松井秀喜さんが過去に

「試練は乗り越えれる人にしか与えられない」

という発言をしていますが、
これは完全に事実です。

乗り越えられない人は
自分が乗り越えられないことを
潜在意識的にわかっているから、
問題を直視しようとしないために
気楽に生きれるのです。

要するに、諦めているのです。

一種の防衛本能のようなものですね。

 

とはいえ、ときにはどうしても
精神的に追い込まれてしまう
こともあるでしょうから、
その際は誰かに相談するのはありだと思います。

ただし依存は禁物です。

あくまでヒントとして、最終判断は
自分でするようにしてください。

自立は、アイデンティティークライシスを
破るための一つの大きな鍵ですから。

でもそうなると信頼できる人と
そうでない人の見極めは大切になってきますね。

というわけで、最後にその見極めの基準を一つ。

 

それは

相手に「思いやり」があるかないか

になります。

相手に思いやりがあれば、
厳しい言葉の中にも必ず
あなたを救いたいという気持ち、
愛を感じることができます。

そこを意識して、人と接してみてください。

これはその相手が口で言ってることは
全く関係ないところですから、
察する必要があるのですが
意識するかしないかでは
全然違ってくると思います。

 


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7 Responses to “アイデンティティークライシスとは、自己喪失・崩壊と再構築の時”

  1. たひち より:

    ありがとうございます。

    少し自分の気が楽になりました。

    • litnangm009 より:

      たひちさん、コメントありがとうございます。
      人生はバランスだからこそ、人は常に葛藤し続けることが重要になります。
      ですから葛藤せず突っ走るタイプは、どこかで必ずその分大きな壁にぶち当たります。
      悩む人は葛藤が多いタイプなので、苦しいときが多いように感じられるかも知れませんけどね。

  2. たな より:

    他のブログと書いていることが違う、一線を画している。
    主は医者か何かですか?

    • litnangm009 より:

      たなさん、コメントありがとうございます。
      医者ではありませんが、かなり悟っています(笑)
      それは冗談ですが、別にビジネスでやっているわけではないので、あまり偏りがないのが一つの理由なのではないかと思います。
      そうなると、読み手の人生にプラスになるような内容を一番に考えて書けますからね。

  3. かな より:

    現実逃避、プライドが高い人、の記事から読んで、かなり気が楽になりました。ありがとうございます。

    現在留学中で、自分を追い詰めて突然泣き出してしまう事が数え切れないほどあります。
    この記事を読んでも、「自分はまだやれる。今の自分はだらしがない。甘えてるだけだ。」と考えていますが

    「自分はやるだけやった。これ以上は精神が持たない。だからもうやめる。それによってどんな結果になろうが覚悟し受け入れる。」

    この言葉に胸を打たれたのも確かです。
    やめる勇気と受け入れる覚悟もときには必要なんですね。

    • litnangm009 より:

      かなさん、コメントありがとうございます。

      頑張ることだけが強さなのではなく、ときには逃げることも強さであり、開き直ることも強さです。
      かなさんはかなり頑張るタイプなようなのですが、それはそれで良いと思います。
      ただあくまでの意識の問題として、「逃げる価値」「頑張るのをやめる価値」という視点を常に心のどこかに置いておくことをお勧めしたいですね。

      やはり人間にはそれぞれ精神力の限界値があるので、プライドの高い人は自分の限界値以上に頑張ってしまいます。
      自分の限界値は誰かの限界値よりも劣るという事実を受け入れるのも、また強さであり、価値なのです。

      実は、心というのは筋肉と同じように考えることができます。
      筋肉もオーバーワークになったら壊れてしまって鍛えられないですよね。
      それと全く同じと考えてください。
      つまり頑張り過ぎると、逆に精神はあまり成長しないのです。

      自分がどこに線引きをするのか、その判断ができることが本当の聡明さですよ。

      あとこれは少し余談になりますが、心の強い人、精神力がある人というのは、より頑張る人と考えるのも違います。
      本当に精神力の強い人は、普通の人が苦しんで苦しみ抜いてやっていることをすんなりやっています。

      これも筋肉に例えれば非常にわかり易いですよね。
      ベンチプレス100キロ上げられる人にとって、50キロなんてもはや負荷でもないのと同じです。

      つまり頑張っていると感じている時点で、自分の精神の限界値が近づいていると考えるのは大切なのです。

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