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子は親を選ぶ・子は親の鏡、~に似る、背を見て育つの意味とは

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あなたは、自分の両親のことが好きですか?

尊敬していますか?

恐らく両方共YESであった人はそれほど多くないのではないでしょうか。

むしろ、「大嫌い」とか、

「全く尊敬してない」

それどころか

「恨んでいる」

「蔑んでいる」

という人の多いと思います。

ですが、そう思うことを何も恥じる必要はありません。

ただし、どうしても避けることのできない事実があります。

それは、どんなに親のことが嫌いで駄目な人だと思っていても、自分と非常に強い関係で結ばれていることです。

実際、子と親の強い関係を表す諺はいくつもありますが、そのうちで

「子は親の鏡」「子は親に似る」「子は親の背中の見て育つ」

等は代表的なものになりますね。

ここでは、それに加えて「子は親を選ぶ」という、一見オカルト的なテーマも取り上げてみたいと思います。

 

子供が親に似る理由

「子は親の鏡」と「子は親に似る」の意味は、全く一緒と考えても差し支えはないでしょう。

この言葉は得てして事実になります。

なんせ、子供が親に似る理由は無数にありますから。

ここでは、二つの主な理由を挙げてみたいと思います。

 

まず一つ目の理由は、子供は親の遺伝子情報を受け継いでいるわけですから、その時点で本質的な性格が近くなるということです。

特にまだ幼ければ幼いほど遺伝の性格がそのまま出易いので、恐らく親の小さい頃とはかなり似ているはずです。もしかしたら、現在の親にはあまり似ていないかも知れませんが、その理由は後述する内容をご参照ください。

 

そしてもう一つの理由は、子供は本能的に環境から全てを学ぼうとするので、親の性格的な影響をもろに受けることです。

親の性格的な影響というのは、親が遺伝以外でそれまでの人生で培ってきた価値観であったり、考え方、行動、言動の癖等です。

学ぶはもともとマネぶが語源であるように、人間はそもそも真似ることから始まります。

ですから「子は親の背中を見て育つ」という諺は、このことを意味しているのです。

真似てたくさんの知識が付いてきたら、そこで本当に正しいこととは何かについてようやく考えることができるようになります。

ですがその頃には、すでに良くも悪くもたくさん真似てきたことでかなり思い込みが心の深い部分にまで届いてしまっているので、そこから考え方を変えたりするのは非常に難しいのです。

たとえば、思春期辺りに親の理不尽さや駄目な部分に気付き始めた頃には、すでにそれらの親の駄目な部分は自分の中に無意識に取り込まれてしまっています。

つまりその時点で、「子は親の鏡」と「子は親に似る」の諺が体現されてしまった形になるのです。

しかも、多くの親は教育の名の下に自分の価値観を植え付けます。

結局、自分と同じ考え方の人間を近くに置いた方がストレスが溜まらないので、自分の子には自分と同じ考え方をして欲しいからです。

ただこれに関しては、当然子供は大きくなるにつれ、思考力の向上と共に家庭以外での社会生活も増えて視野が広がっていきますから、徐々に自分の親が色々とおかしいことに気付きます。

「親の振り見て我が振り直せ」とも言いますが、まさにそれですね。

 

直せない部分もあるがそこは問題ない

しかし、それでも気付けない、あるいは気付いても直せない部分はどうしてもあります。

その部分は、親と同じ性質の個性として残ってしまいます。

そういうのは細かいところを挙げれば無数にあるので、

「子は親の鏡」「子は親に似る」「子は親の背中を見て育つ」の三つの諺が、そのまま当て嵌ってしまうこととなるのです。

 

ですが、親がダメ人間だからといって自分もダメ人間にならなければならないかと言えば、まったくそんなことはありません。

性格としての性質が同じでも、人としての器は関係ないですからね。

あくまで同系統であるだけなので、その範囲の中で努力してどんどん成長し、進化していけば良いのです。

そうすれば、結果的にほとんど別の人間になることはできます。

遺伝や環境を言い訳にする必要など全くないのです。

 

【参考】「才能がない」は言い訳?勉強や仕事の辛い努力を諦める必要はない理由

 

「子は親を選ぶ」の意味とは

子が親に似てしまうのが、どれだけ自然なことかはお判り頂けたと思います。

では、「子は親を選ぶ」についてはどうでしょう。

普通言われるのは

「子は親を選べない」

ですよね。

どうしようもない駄目な親の元に生まれたら、その環境の中で駄目な姿を手本として、何でも人のせいにしたり言い訳ばかりの情けない考え方や、残念な価値観を植え付けられながら幼少期を過ごさなければなりません。

しかし自分が物心付いたときにはすでに誰かしらの親はいるわけで、普通に考えたらこれほどどうしようもないことはないのではないか、と思えます。

ですが、

「もし仮に、生まれて来る前に意思があったら」―

「子は親を選ぶ」

の理屈は、それが前提となっています。

つまり、私達はもともと魂の存在であって、向こうの世界にいるときに「よし、この親にしよう!」と思い、生まれてくるということです。

 

しかしながら、ここで誰もが思い付く疑問があります。

 

「だったら、なぜわざわざ情けない駄目な親の下に生まれてくるのか」

「それだったら私絶対に今の親選んでないんですが」

「なぜわざわざまともに生きていくことすらままならないような環境に生まれてくるのか」

 

等ですね。

これらの疑問の答えは、

「何らかの魂的な事情」

になります。

 

「・・・・何それ?」

 

と思われる人も多いと思いますが、一言で言えばそうなります。

しかしながら、もし仮にあの世があると考えてみてください。

もしあの世があって、私達が何度も何度も、無限に生まれ変わってきているとしたら。

その場合、今の人生における価値が全然変わってきます。

例えば、もし仮にこの人生であまり良い環境に生まれなかったとしても、次の人生では生まれることができます。

才能や容姿に恵まれて生まれることができなくても、いつかはそのように生まれてくることもできるでしょう。

となると、一回の人生がたまたままるでハンデのようであっても、それほど大きな問題ではないという話になってきます。

とはいえ、

「でもわざわざハンデ背負って生まれてくる必要はないでしょう」

と考える人もいると思います。

 

もう一つの前提

実は、

「子は親を選ぶ」

にはもう一つ前提があるのです。

それは、

「魂が進化成長を目的とする存在であること」

です。

それであれば、わざわざハンデを背負って生まれてきたり、劣悪な環境に生まれてくる人も理屈が通りますよね。

ではこの前提が一体どこから来ているかというと、スピリチュアルの法則です。

「魂が進化成長を目的とする存在である」

というのは、スピリチュアルという学問的には事実なのです。

つまり、

「子は親を選ぶ」

の意味というのは、

「魂が進化成長するために、相応しいと思った親を選んで生まれてくる」

ということです。

 

ただし、厳密にはスピリチュアル的にもっと色々な理由があります。

魂の世界はあまりにも深いですからね。

たとえば、カルマ(過去生で犯した罪)というものがあって、それを清算するために酷い親や環境を選んで生まれてくるとか。

この場合は選んで、というよりも仕方なしに、というニュアンスになるのかもしれませんけどね(笑)

 

考え方が人生の軸を築く

しかしたとえ「子は親を選ぶ」の実際の真偽は抜きにしても、自分が親を選んで生まれてきたと考えた方が、何となく納得できるのではないでしょうか。

もし仮に

「選べない」

と考えたら、理屈上親を責めるしかなくなってしまいます。

もちろん、親も子供を選べないのですが、そのことを理解の上で産むという判断はできるわけですから、子供よりは全然どうにかできますからね。

しかし、ここで

「自分がこの親を選んで生まれてきたんだ」

と考えると、きっと何かしらの魂的な意味があったのだろう、ということはこの中で全力で生きればきっと魂的には満足なんだろう、と考えることができます。

その範囲の中で全力で生きれば、自分が生を全うしてあの世に帰ったときに、素晴らしい達成感と様々なご褒美が得られる。

そう考えると、モチベーションも違ってくるのではないでしょうか。

そして、親を責めたり、環境のせいにしたり神を罵るようなことをやめて、自分のできることをやっていこうと思えるのではないでしょうか。

 

何事も、人生を生きる上では考え方がベースになってきます。

本当にそうなのかはとりあえず置いておいて、自分が生き易い筋の通る考え方を見付けて、それを軸に生きていけば良いのです。

魂的な理屈は答えのない(どちらも証明できない)ところなので、どう考えようと自由なのですから自分の人生にプラスになる考え方をしないと損ですからね。

 


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