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神様に好かれる生き方は大事だが、神様がいるかいないかは証明無用な理由

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神様の存在を信じるか信じないかは、完全に人によって分かれるところです。

恐らく、自分ともっとも気の合う友人や知人であっても、意見が違う場合もあるでしょう。

まあここはお互いに決して合間見えないところなので、ほとんど話題に出されることもありませんが・・・。

ただ、神様がいる・いないに関わらず、神様に好かれるような生き方をすることは非常に大事です。

 

神様に好かれる生き方が大事な理由

神様がいる・いない関係なく、神様に好かれるような生き方をすることが大事と言うと、

「えっ!?でも神様いないならそんなの意味なくない?」

と思われる方もいるでしょう。

実は、全くそんなことはありません。

これは例を挙げていくとわかり易いです。

 

たとえば、あなたが人に優しく、親切に、感謝を忘れずに生きていたとします。

このとき、人はあなたに好意を抱くようになります。

人から好意を抱かれると自然に贔屓をしてくれます。

この時点ですでに意味があるのがわかりますよね。

それだけではなく、心も清々しい気持ちになり、ストレスが減ったりします。

 

また、たとえばあなたが落ちているゴミを拾うをするとします。

「良いことやった」という気持ちが、自分の心を朗らかにするのと同時に、自分の存在に対してより自信が持てるようになります。

 

もう一つの良い例として、神社や寺の参拝や墓参りがあります。

参拝をすると、

「参拝したら神様(あるいはご先祖様)が助けてくれるかも」

という気持ちになります。

結果として、すごく気持ち的に楽になったり、前向きになれたりします。

 

いかがでしょうか。

どれも、結果的に心を豊かにしてくれる行為です。

心が豊かになれば自分はストレスは溜まり辛くなるし、人からも好意を抱かれ易くなるので人生にかなりのアドバンテージがもたらされます。

であれば、神様がいるかいないか関係なく、これらのような神様から好かれそうな行動を取っていた方が得である、ということですね。

 

神様から好かれない行動が得をしそうなケース

ただやはり、世の中はそんなにシンプルではありません。

逆に神様から好かれないような行動の方が、一見すると得をしそうなときもあります。

たとえば、誰も見ていないところで財布を拾ったとします。

その財布の中には、すごい大金が入っていました。

このとき、神様から好かれる行動を取るよりも、神様から好かれない行動の方がメリットがありそうに感じるのではないでしょうか。

あるいは、会社であなたがお金の管理をしていたとします。

完全に任されていて、そのお金はいつでも持ち逃げすることができたとします。

すると、持ち逃げしてそのまま姿をくらましたら、会社の関係者には恨まれるけど自分は大金を手にすることができる、ということになります。

このとき、大金を手にする方が会社の人に恨まれるよりもメリットが大きい、という考え方はありますね。自分が決して捕まらないようにして、かつもう二度と会わなければ良いのですから。

 

こういうときに、神様はいないと考えた方が都合が良かったりします。

何故なら、神様がいると考えると、自分の地獄行きが確定となるからです。

これは恐ろしいことですよね。

また、罪悪感や良心の呵責に苦しまなければならなくなるという理由もあります。

これら二つの問題は、神様がいないと考えることによって概ね解決することができます。

ですから、神様に好かれないような行動で表面上の利益に走る人は、神様を信じない人が多いのです。

 

神様に好かれない行動のリスクとは

このような理由から、多くの人は実際に神様がいるかいないかがかなり気になっているのです。

「神様がいるのであればもっと神様に好かれそうな行動を取るし、神様がいないのであれば神様に好かれそうな行動よりも自分の欲望に忠実になるから、神様がいるのかいないのかはっきりして欲しい」

と考えるわけですね。

しかし残念ながら、その証明の術はありません。

 

ただ一つ私から言えるのは、

神様から好かれる行動・好かれない行動というのは、想像以上に反動がある

ということです。

その一つの大きな理由は潜在意識にあって、結局どんなに悪魔に魂を売り、頭で誤魔化そうとしても、深い部分に存在する良心は誤魔化せないのです。

つまり、その良心の部分が存在する以上、バレないならズルしても良いとズルをしたところで、良心の呵責が起こってしまうのです。

この世には本当に根っから悪魔のような人もいるので全員がそうなるとは言いませんが、ほとんど全ての人は無意識のうちに両親の呵責に合い、大きなストレスを溜めることになります。

 

また、こちらは具体的に説明することができないのですが、好かれるような行動を取っていれば運は良くなるし、好かれないような行動を取っていれば不運になります。それも、その運は行動の量と質に比例して大きくなります。

これも量子力学等の分野では科学的に解明されつつあり、そのうち理屈として証明されるようになるでしょう。

 

神様から好かれそうで好かれない行動

しかしながら、ここで大きな落とし穴があります。

それは、打算的な行動は神様に好かれる行動ではないということです。

善意とは、相手を想ってするものです。

ですから、

「私は神様に好かれたいから」

という気持ちが先行していると、その効果を大きく失ってしまいます。

それは人に対しても同じですよね。

人から贔屓されたいから、という理由で善意をしている人がいたら、すごく嫌な印象を受けるはずです。

たとえば権力者やお金をたくさん持っている人に対してと、それ以外の人とでは態度が全く違う人がいます。また、自分が調子の良いときは色々支えてくれるのに、調子が悪くなった途端に離れてしまう人がいます。

こんな人は全然信用できないどころか、本当に嫌な奴だと思うのではないでしょうか。

少なくとも、とても神様から好かれる行動とは言えませんよね。

ですから、たとえ見返りがなかったとしても、神様や親しい人に対して感謝の意思表示、あるいは逆にお返しとして善意をすること。

これが神様に好かれる行動です。

 

あともう一つ重要なことがあって、不機嫌そうにするのもダメです。

善意を不機嫌そうにやっている人をみたら、あるいは頼んでもないことを嫌々やっているのをみたら、

「そんなにやりたくないならやらなくて良いよ」

という気持ちになるのではないでしょうか。

善意は相手を喜ばせようとやって、それが自分の喜びだからこそする行為です。

ですから、最終的に自分が喜んでいなければなかなか神様から好かれません。

それでも、大抵の場合はやらないよりは良いのですが。

 

証明無用だけどいると仮定した方が良い理由

となると、ここで一つ言えることがあるのがわかりますよね。

それは、

神様がいる・いないで行動を変えるのは神様に好かれる生き方ではない

ということです。

それは打算的になりますからね。

であれば、神様がいるかいないかに拘るのは無意味であり、

証明無用

ということになります。

ただ、もし神様に好かれる生き方をするのであれば、いると仮定した方がそのように生きやすいのは事実です。

少なくとも、いないと仮定したらやはり善意の動機が弱くなって、行動になかなか起こせなくなります。善意というのは一言で言えば自分を差し出して相手に与える行為なので、やはり簡単にできることではありませんから。

 

ただし、打算的な考えが全くあってはいけないというわけではありません。

そうではなくて、それが中心になってはいけないという意味です。

あくまで中心に善意があれば、問題ありません。

というより、むしろ人を優先にして、その後に自分のこともしっかり考えるのが理想です。

神様は、そういう人を一番好きになります。

その理由は、上でお話ししたように、最終的に正しい善意は人の喜びが自分の喜びなので、自分が喜びを感じていないと感じていないといけないからです。

たとえば、人に100%注いで自分のことなどどうでも良いのが正しさであれば、奴隷が一番神様に好かれることになりますよね。

現代でもまるで奴隷のように低賃金で過労死するほど働かされている人がいますが、残念ですがこういう生き方をしていても別に神様に好かれません。

会社にとってはありがたい戦力であったとしても、自分の身を粗末に扱っているからです。

これは非常に大切な視点なので、ぜひ覚えておいてください。

 


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