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他人の不幸を願ってしまう心理とは―嬉しい、楽しい等で幸せを感じる危険性

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他人の不幸を願ってしまうというのは、超性格が悪いことのように感じられますね。

しかしながら、実際のところ

ちょっとそんな気持ちを抱いてしまったような気がした

経験はほとんどの人にあるのではないでしょうか。

たとえ

「いや、私にはない!」

という人であっても、私は間違いなくあると思います(笑)

というか、むしろそういう人ほど抱いているものなのですが。

実のところ、この非常に性悪な感情というのは、人として自然なものなのです。

 

他人の不幸を願ってしまう心理

人間というのは、元来平等を求めるものです。

不公平感を嫌うのです。

思い当たる節があるのではないでしょうか。

それは損得でものを考える、という性質にも通じるところがありますが、いずれにしても人というのはあらゆる視点から他者と比べ、自分が劣っていると感じるとすごく嫌な気持ちになります。

いわゆる劣等感ですね。

他人の不幸を願ってしまうというのも、この劣等感に端を発しています。

結局、自分よりも恵まれている、あるいは幸福に感じる誰かが自分の位置のまで下がって来てくれたら、それはつまり劣等感、もとい不公平感の解消になるわけです。

 

身近な人ほど逆に不幸を願う?

そしてもう一つ大切なのは、この劣等感という感情は自分の身近な人に抱き易いことです。

たとえば、自分の友人がものすごく成功したら、本来であればあなたは素直に喜べるはずです。

しかしながら、このときあなたは逆に強いネガティブな感情を抱いてしまう可能性があるのです。

これが全然関係ない芸能人とか、自分と掛け離れた人であれば、抱くにしてもそれほどではありません。

それは何故かと言えば、理由は大きく三つあります。

①その人が自分と近い存在であるために、自分と重ね合わせたイメージをしていること。

②身近なその人が自分よりもどんどん上に行くことによって、自分自身が同じようにできないのがただ言い訳に感じたりして、だんだん自分に自信がなくなったり自己嫌悪の感情が芽生えてくること。

③これは劣等感とは違いますが、身近な誰かが自分よりもどんどん成功していって自分と差が大きくなってしまうと、その人とはだんだん話や価値観が合わなくなってきます。そうしたら、もう友達関係が維持できなくなってきてしまいます。

 

これらの理由から、自分の身近な人に対してほど、その人が成功したときにネガティブな感情を抱き易いのです。

もちろん、自分と気が合って好きですから成功したら嬉しいという感情もあるのですが、多くの場合はそれ以上に不安や嫉妬と言ったネガティブな感情が勝ってしまいます。

 

実際、これまでの人類の過去の歴史を振り返ると、奪い合いと侵略、支配ばかりですね。

しかもたとえ相手が兄弟だろうか親子だろうがです。

当然、兄弟や親子の絆というのは昔から非常に強固なものであるのには違いありません。

にも拘わらずそのような野生の獣のような暴挙が繰り返されていたのは、それだけ人間の不安や嫉妬心という感情が強力であることを物語っていますね。

 

では、現在はなぜ過去に横行していた鬼畜の所業がほとんど見受けられないかと言えば、法律がしっかり整備されて、社会的な秩序が構築されているからです。

つまり、内心で思っていることをそのまま行動に移せる時代ではもはやないからです。

ですから、心に過ることは当然あるでしょう。

そのため、他人の不幸を願ってしまうという感情自体は、ごくごく自然なことであり、仕方のないことなのです。

 

嬉しい、楽しい等で幸せを感じる危険性

ただし、だからと言って

・他人の不幸を望むのは人間のもともと持っている感情で沸き起こるものなんだから、むしろ認めるのが大事だ

・他人の不幸というのは「嬉しい」し「楽しい」から、私は大好きだ

・「他人の不幸は蜜の味」のことわざ通り、幸せを感じるのは自然だよね

 

等と完全に開き直るのは、ものすごく危険なことです。

その理由は、他人の不幸を願うというのは、人に下がってきてもらいたいという願望だからです。

つまり、人が下がってくることによって相対的に自分は不幸ではなくなるわけです。

要するに、自分が上に上がろうという気がないのです。

劣等感そのものは必ずしも問題ではないのですが、一番問題なのは、人の不幸や失敗ばかりを願って、自分でできる努力をしなくなってしまうことです。

人の不幸を願ってしまったり、喜んでしまう人というのは、なかなか大成することはありません。

何故なら、人に落ちてきてもらうことに対して一生懸命になるからです。

それが身近な友達であれば、その友達が上手く行かないようにするにはどうしたら良いかを一生懸命考えます。

いや、一生懸命考える、というのは言い方として少しオーバーですが、少なくとも潜在意識的にどうにか邪魔しようという意識を働かせます。

 

たとえば、友達が誰かに告白された際に

「あの人あまり性格良さそうじゃないね」

とか、

一流企業の内定が取れた際に

「その会社はあまり良い雰囲気じゃないね」

と等がパッと思い付いたわかり易いところですが。

ここでその発言の理由として

「付き合って辛い思いをして欲しくないから」

「会社に入って大変な思いをして欲しくないから」

と言えば、いかにも友達のことを思い言っているかのように聞こえますよね。

そして、これは意外と自分でも悪意がない場合が多かったりします。

つまり、無意識のうちに「友達に先に行かれたくない」という気持ちから、思考にバイアス(偏見)が掛かってしまうのです。

 

基本的に、自分がはっきりとした根拠もないのに人の選んだ道を否定しようとしていると感じたら、バイアスが掛かっていると考えなければなりません。

こういう人は、無意識下において自分の成功ではなくて友人を自分のところに留めておこうという意識が強いので、自分はなかなか成功できません。

ですから少し話を広げると、基本的に誰かを恨んでいる人というのは駄目です。

自分の人生を良くしていこうという方に意識を回す代わりに、その人の不幸を望むばかりだからです。

 

幸せへの正解ルートとは

ですから、

「他人の不幸は蜜の味」では駄目

なのです。

あくまで、

「そう感じるのは無理もない」

というだけの話です。

ただ厳密には、その感情は自然なことではありません。

自然なのは「自分と他人を比較する感情」です。

人間というのは、他人と比較する生き物です。

これは間違いありませんし、そもそも別に悪いことではありません(その理由は文末で述べています)。

しかしながら、他人と比べて自分が劣っていた際に、

・人に下がってきてもらいたいと思うのか

それとも

自分がそこに上がっていこうと思うのか

が、最大の分岐点になります。

ここで前者を取る人は、そのまま人生が終わっていきます。

ネット上で人の揚げ足を取ったり、批判や悪口ばかり言って人を傷付けて悲しませたり、嫌な気分にさせたりしている人は良い例ですね。

逆に後者を取る人は、今は駄目でもどんどん成長して、自分を高めていくことができます。

しかしはっきり言って、前者の生き方は楽です。

ネットで悪口を言うだけでも十分効果があるので、人を下げる方が簡単なのです。

手軽に、不平等感が解消される気持ち良い感覚は味わうことができます。

それに、やはり自然に沸き起こる感情でもあるので、考えずに流されていたらこちらの行動を取ってしまいがちです。

ですが、そのような生き方は充実感が全く得られません。しかも長期的に見れば、情けない自分に対しての嫌悪感がどんどん強まっていきます。

結局、成長できないばかりか気持ち的にも不幸になってしまうのです。

 

なので、たとえ辛くても、しんどくて険しい道のりであっても必ず後者の生き方を選びましょう。

長い目で見たら、こちらが幸せへの正解ルートなのです。

 

ちなみに、

「自分はそもそも比較することはない」

と思っている人はいるかも知れません。

しかしこういう人もまた、なかなか成長できない人なのです。

上を見て悔しいと思い、そこを目指していくからこそ成長するわけですからね。

繰り返しますが、比較が悪いわけではないのです。

もちろん、

「上に上がっていくとか成長とかけっこうどうでも良い。安定したほどほどの生活と幸せがあれば良いんだ」

という人もいると思うので、そういう人は別にそのままで良いと思います。

でも比較は本能に近いもの(心理学的な見解でもあり)なので、ほとんどの人が必ずしてしまうと思いますけどね。

 


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